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島原手延そうめん

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そうめんの歴史

 

 本市で主に生産されている島原手延そうめんは、全国の手延そうめんの約3割を製造している、そうめんのトップブランドです。

 「島原手延べそうめん」のルーツは、諸説あり、その一つに本市にある「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である「原城跡」で起こった「島原・天草一揆」で住民のほとんどいなくなったため、一揆後、江戸幕府の移民政策により全国各地から移住が行われ、特に小豆島からの移民者が地元の特産品・そうめんを広めたといわれておりました。

 

 しかし、近年、いろいろな文献などで調べてみますと、長崎は、江戸時代以前から、中国唐船や南蛮船による交流が盛んで、異国情緒豊かな彩を映しております。当時の国際交流都市で、人的交流が食文化を独特なものに変えていきました。特に、中国伝来の粉食文化の中で、麺文化が開いた場所でもあります。日本の食文化と融合し、新たな卓袱料理や精進料理(普茶料理)などが発生いたしました。その中で特に忘れてならないのが、「つるつる」麺文化の代表、そうめんもあったと考えられます。
 江戸幕府によるキリシタン禁教令により、長崎には、唐人(浙江省・江蘇省・福建省出身者)により、興福寺・福済寺・崇福寺の3寺院が建立されました。寺院の仏事や一般の食生活としてそうめんが生産され、約400年前、南島原の地にこれらの僧によって手延べそうめんの製法が伝えられたのが、島原手延そうめんの発祥ではないかという説がもう一つの有力な説です。今でも福建省福州市には、南島原市に昔から伝わるこね鉢,巻き鉢、室、牛頭、バラ(竹で編んだ入れもの)など現在でも同じものを使用されております。
 

 島原手延そうめんの詳細については、下記ホームページで公開しております。

  http://minamishimabara-somen.jp/minamishimabara/

 

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