長崎県南島原市公式ホームページトップへ
文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

令和遣欧少年使節海外派遣事業中学生レポート

最終更新日:

令和遣欧少年使節海外派遣事業中学生レポート

 市では、有馬のセミナリヨ授業再現事業に参加した中学生の中から4人を選抜し、令和6年10月17日から26日までの10日間、令和遣欧少年使節団としてイタリアへ派遣しました。

 この事業は、1582年にキリシタン大名の名代としてローマを目指し、ヨーロッパへ渡った天正遣欧少年使節の偉大な功績を顕彰すると共に、歴史をとおして郷土に誇りを持つ人づくりや、グローバルな人材育成を目的に派遣しているものです。コロナ禍のため5年ぶりの中学生派遣となり、今回で9回目の実施となりました。

謁見

詳細は広報みなみしまばら(2025年1月号)に掲載されています。 


 派遣された中学生4名の感想文は以下のとおりです。 

門畑 華月(かどはた かづき)さん

   門畑2門畑1

令和遣欧少年使節海外派遣事業の事前研修や準備の段階で、私にはいくつかの目標がありました。四少年がみたものを自分の目で見ること、キエーティでのホームステイを中心に、市と市との関係をより深めること、その他にもありますが、この二つが大きい派遣での目標です。また、自分自身の課題とされることで、コミュニケーションをとるためにできるだけ積極的に動くこと、街並みや建築物に興味があったので、本場の建物を見てみたいというのもありました。

 10月18日に初めてイタリアの土を踏み、ワクワク感と同時にふわふわと夢の中のような、そして同じくらいに大きな緊張も同時に沸き上がり、全ての感情が大きく押し寄せてくるような、言葉では表せない感情を抱きました。イタリアに居るという実感がまだわかないまま、高速バスに乗って最初の目的地、キエーティ市に向かいました。事故の関係で渋滞に巻き込まれるというちょっとしたトラブルもありましたが、バスの中から、多くの自然や、時折遠くにクリーム色や白っぽい家々が並ぶヨーロッパ特有の町の風景もみられて、キエーティ市につくのが待ち遠しくなりました。

三時間以上の移動を経て、午後四時ごろ、ホストファミリーの方々と合流できました。初対面であり、五日間をともにするキエーティの人と過ごすことが、楽しみではありましたが、それと同時にすごく緊張していました。緊張もあって、家に移動しているときもなかなかコミュニケーションがとれなかったのですが、ホストシスターのジャーダさんやホストマザーのチンツィアさんが、ずっと笑顔で接してくださって、少しずつ緊張もほぐれていきました。家に到着し、移動中にチンツィアさんが買ってくださったチョコクッキーのようなお菓子を食べていたとき、ホストファザーのアレッサンドロさんに会いました。最初、私が何を言われているのかわからなかったのですが、アレッサンドロさんは「言葉が通じなくても、上手に伝えられなくても、心配する必要はない」と言ってくれました。私は、とにかく何を話せばよいのか悩んでいたので、そう言って頂きとても嬉しく、ホッとしました。そしてこれから積極的にコミュニケーションを取ろうという勇気をもらいました。「Yes」と笑顔でこたえることが出来たとき、その場に居た他のホストファミリーも笑顔になりました。そこから、ジャーダさんの弟、ヴィンチェンツォさんを車で一緒に迎えに行きました。弟のヴィンチェンツォさんは祖父母と一緒に祖父母の家の前で待ってくれていました。ヴィンチェンツォさんを迎えたとき、祖父母のお二方も、明るく「チャオ!カヅキ!」とにこやかに私を迎え入れて下さり、とても嬉しく、ホッとした気持ちになりました。私も自己紹介をしたりと、すこし会話を交わすことが出来ました。穏やかだけどとてもにこやかで明るくて、家族に対する愛情の深さが感じられました。

 キエーティ市では、教会や劇場、博物館を見学し、その装飾の美しさと町の持つ豊富な歴史に驚くばかりで、また、その歴史ある古い建物がまだ現役で利用されていてとても身近にあり、豊かな自然とともにその街並みに溶け込んで、古い歴史も現代も、何も特別ではなく自然なことであるというような雰囲気に、その豊かな空間にとても感動しました。ジャーダさんは「キエーティは小さな町」と言っていましたが、私の目には、いたるところに目を惹かれるようなものが沢山あって、歴史や文化の素晴らしいものがぎゅっと詰まった、とても魅力的な、大きな存在感のある町だと思いました。交流事業で訪れた中学校や高校、そして町で出会った人たちは、とても明るく親切に接してくれました。歴史的な建物を受け継ぎながら、美しい街並みを整えてきた土地であるからこそ、人やものを大切にしようとする気持ちが大きいのかなと思いました。

 ホストファミリーの皆さんとは、生活を同じくするなかで、買い物や食事に出かけたり、キエーティの街並みをお散歩したり、少し遠い所へ連れて行ってもらったり、家で一緒にアクセサリーや折り紙を作ったり、そして日々の語らいから、形に残るようなものも、そうでないものも、沢山思い出を作りました。私とホストファミリーと、私の日本の家族でビデオ通話をすることもありました。毎日毎日本当によくしてくださって、沢山の学びを私にくれました。別れほどつらいものはありませんでしたが、この機会を通じてより一層、この「美しい」が詰まった町と、南島原市の間にある縁が強くなるといいなと心から思えました。

 実は蓄積していたらしい疲労が押し寄せて、高速バスで眠っていると、あっという間にローマに着きました。ホテルまでのタクシーでの移動の中で、あちこちに見えるものが、先ほどまで見ていたキエーティの穏やかな町の様子と違い、人の多さと都会の喧騒と、とても大きな歴史的な建物が、目を開けば何か視界に入ってくるくらいに沢山あり、窓の外に釘付けになりました。

 翌日、朝早くからローマ教皇様謁見の準備をしました。袴を着るのに苦戦しながらも、なんとか準備を済ませバチカン市国へ向かいました。桁違いな人の多さに驚きました。人ごみの中を進むのはとても難しく、時間もかかりました。しかし、バチカン市国に足を踏み入れたとき、周りの大きな柱、上方に立つ一つ一つ異なる像に圧倒されました。教皇様との距離が1mないくらいになり、緊張で教皇様に何も伝えられなかったこと、握手が出来なかったことが唯一の心残りですが、それ以上に「キリストの代理者」を目の前にして謁見が出来ていることに感激しました。四人の少年たちもこうやってバチカンの地に立ち、同じ景色をみたのだろうかと、今後二度と経験することのないような感情を抱くことが出来ました。バチカン市国から出る時も、そのような恰好でしたので周りの人からの視線は強かったですが、堂々と前を向いて歩けました。

 その後の数日で、バチカン、ローマ内の観光がありました。サン・ピエトロ大聖堂では、ミケランジェロが登った階段を一段一段踏みしめて登りました。天井から見える大聖堂は、下の床に立ち見るものとはまた違う迫力がありました。バチカン美術館では、最後の審判や最後の晩餐をみて、自分の目で名画を目にできたことがすごく嬉しかったです。

 この事業を通して、私の4つの目標を、いろんな形で達成することができたと考えています。ほかの三人の仲間とも、最初は初対面でぎこちなく接してしまう事が多かったのに、帰るときには友達以上の強いつながりを持てるようになりました。イタリアで日を重ねるにつれてどんどん積み重なった経験をこれからに生かして、もっと違った見方で物事を考えたりしてみようと思いました。このような貴重な経験をすることができ、再現授業の頃から支えて下さった方々に、心から感謝いたします。ありがとうございました。

瀬川 美空(せがわ みく)さん

  瀬川2瀬川1

戦国時代の南島原のイエズス会「有馬セミナリヨ」からヨーロッパへ派遣された4人の天正遣欧少年使節の功績やセミナリヨなどの地元の歴史を学ぶために有馬セミナリヨ再現事業に参加しました。市内から参加した18人の中学生と世界遺産やセミナリヨ、西洋音楽、茶道などの学習を行いました。研修の終盤には作文、面接が行われましたが苦手分野で自信もありませんでしたがイタリアに行きチャレンジしたいこと、この研修を機に克服したいことなどを精いっぱい伝えました。2日間の研修を終えるころには他校の学生との交流も楽しく、心細かったことが嘘のように充実した気持ちでした。

イタリア派遣が決まってからも他校の3人の研修生、市役所の方、NPO法人ありま南蛮の方々とイタリア語や文化、セミナリヨ、袴の着付けなど様々な事前研修を重ねました。『少年使節団の成し遂げた功績を自分の目で確認する』『出会いを大切にする』という目標を掲げて10日間のイタリア研修に臨みました。しかし、言葉の壁や文化の違い、それぞれ一人で現地の家庭に滞在することに不安や緊張を抱え出発までの日を過ごしました。そんな出発の前日、ホームステイ先の女の子は「いつ会えますか?楽しみに待っています」というメールをくれました。歓迎して待ってくれていることがとても嬉しく緊張がほぐれて期待が膨らみました。福岡空港、台湾で乗り継ぎを経てローマ国際空港に到着しました。空港に降り立った瞬間から日本とは全く違う初めて見るローマの光景に感動と胸の高鳴りを感じました。

天正遣欧少年使節が経験したイタリア派遣、セミナリヨを設立したイエズス会の巡察師・ヴァリニャーノの出身地キエーティ市でホームステイをしました。ホストファミリーは14歳の双子、12歳の同世代の子どもが3人いる5人家族でした。ホームステイ初日、ホストファミリーと緊張の対面でした。駅で『瀬川美空』と書かれた大きな手作りボードを持って笑顔と温かい雰囲気で迎えてくださいました。早速その日、一緒に町を散歩して本場のジェラートを食べ、美味しさと街並みの美しさに感動しました。夕食はお母さんが手作りピザとミネストローネをふるまってくださいました。本場の家庭料理の味はとてもおいしく忘れられないものでした。イタリアは会話をしながら日本の何倍も時間をかけてゆっくり食事を楽しむ習慣があり、私がお世話になった家族は日本の事が大好きで日本の食文化や私の家族の事、他にも興味深く様々な質問してくれました。この時間をきっかけに言葉の壁も越えて打ち解けることができました。

翌日は現地の中学生と交流し市内の観光や音楽に触れ、ヴァリニャーノ神父ゆかりの教会訪問をしました。現地の中学校、高校で音楽・英語などの授業も受けました。宗教の授業では信仰しない宗派の授業は受けない生徒もいるという学校のスタイルに驚きもありました。休日には自宅でゆっくりとしたお茶の時間があり、イタリアの手作りお菓子や手土産のひとつとして持参した日本のお菓子も一緒に食べました。抹茶のお菓子が好評でした。ホストファミリーの祖父が営むレストランへ行き、伝統的な料理のひとつアロスティチーニという羊肉の串焼きをはじめとする数々の現地の料理をご馳走になりました。ピアノ演奏会へ連れて行っていただき、イタリアの日常と音楽は身近なものだと感じました。別の日はクロワッサンとカプチーノでイタリアらしい朝食を食べたり、プレゼントした箸の使い方を教えながら食事をしたり、折り紙で鶴を折ったり、スーパーに買い物に行くなどとアットホームなファミリーとの時間は毎日楽しく、あっという間でした。

キエーティ市をあとにし、旅の後半はローマにて博物館や教会の訪問をしました。そこでは活版印刷、西洋音楽など多くの文化を南島原市へ持ち帰った少年使節団の足跡が感じられ、改めて彼らの成し遂げた功績の偉大さを感じました。今までテレビやネットでしか見たことのなかった数々の歴史的史跡や建造物も実際に目の当たりにしました。コロッセオの迫力に圧倒され、サン・ピエトロ大聖堂では外観もさることながら内部の彫刻が繊細で建造物の技術の高さに驚きました。大聖堂の展望台(クーポラ)からのバチカン市国の街の美しさに感動しました。バチカン美術館では最後の晩餐や最後の審判などの絵画、ラオコーン像などの彫刻を鑑賞し、一つ一つの作品に作者の深い思いが込められていることを知りました。

バチカン市国では大観衆の中でカトリック教会の聖職最高位であるローマ教皇様謁見をおこないました。ローマ教皇様と大観衆の雰囲気に圧倒されましたが快く笑顔で優しく握手してくださり、温かい人柄を感じました。440年前4人の少年使節団と同じように時代を超えて私たちもローマ教皇様謁見ができたことは二度とできない名誉ある貴重な経験となりました。

今回の派遣事業でイタリアへ訪問し現地の文化を学び、国を超えて多くの方々と出会い、交流を持つことができました。今後私の将来に大きな影響をもたらす素晴らしい経験となりました。また日本の文化が素晴らしいこと、私が生まれ育った南島原市は貴重な歴史的遺産の地であるということを改めて実感し誇りに思います。このような機会に参加出来たことと協力してくださった方々に心より感謝いたします。本当にありがとうございました。

 

溝田 悠乃(みぞた ゆうの)さん

溝田2溝田1

 今回、令和遣欧少年使節派遣海外事業に参加し、忘れることのない貴重な経験をさせていただきました。普通の旅行などでは出来ないことを経験させて下さったイタリアの方々や計画から準備まで沢山のことをして下さった市役所の方々、様々な面でサポートをしてくださったNPO法人ありま南蛮の皆さんには感謝してもしきれません。

私は、幼い頃からセミナリヨの歴史や音楽について学んでおり、小学生の頃から聖歌隊として活動してきました。そのため、イタリアへの派遣があると知った時からずっと行ってみたいという気持ちが強くあり、今回の派遣事業の選考会に参加しました。選考会では当時四人の少年たちが実際に行っていたことを体験しましたが、今の生活とはかなり違っており、大変だなと感じる部分が多くありました。

令和少年使節団員としてイタリアに行けると聞いてからは、楽しみという気持ちの反面、不安と緊張でいっぱいでした。ホストファミリーの皆さんを嫌な気持ちにさせてしまうのではないか、ちゃんと思っていることが伝わるのだろうかなど、自信がない部分も多くありました。けれど、イタリアでは様々な場所でたくさんの方々が暖かく迎え入れてくださり、とても嬉しかったです。ホストファミリーのみなさんも安心して過ごせるようにと細かいことまで配慮して下さり、暖かいおもてなしをいただきました。ホームステイ中は、イタリアでの生活を味わったり日本とは違う文化を学んだりすることが出来ました。そして、私のホームステイ先では、仲のいいロシアの家族の方々とホームパーティーをよく開くそうです。私は運が良かったのか、たまたまそのホームパーティーの日がホームステイ中に開かれる予定だったため、私も参加させていただくことになり、海外のホームパーティーを体験することが出来ました。そこでは、ロシアの食事や言語を教えてもらったり、日本のことを教えたりとみんなでテーブルを囲い楽しく食事をすることが出来ました。

また、ホームステイ中は、料理だけでなく、海やお城、人気なピザ屋さんなどたくさんの場所に連れて行ってくださいました。海の近くを散歩したり美味しいピザやラム肉、ジェラートなどをごちそうしていただきました。さらには、学校への登下校も四十五キロメートルとかなり遠いにもかかわらず、毎日送迎をして下さいました。本当に感謝の気持ちいっぱいです。毎朝、ホストファミリーの皆さんの明るい笑顔とボンジョルノから始まるホームステイ先での生活は、ホストファミリーの皆さんのおかげでとても充実したものとなりました。

そしてキエーティ市ではホームステイに付け加え、中学・高校にも訪問し、イタリアでの学校生活を送りました。教室に入るとクラスのみんなが一斉に私の周りを取り囲み、たくさんの質問をしてくれました。イタリア語で先生がお話されていると、私たちにわかるようにと通訳してくれたり、色んなおやつや曲、食堂や街を紹介してくれたりして、明るくて心優しい方ばかりでした。また、私は中学・高校・地域の空手クラブで空手の形を演武させていただきました。また、空手クラブでは生で海外の空手を見ることができ、さらにはチームTシャツまで頂きました。幼い頃から海外で空手をしてみたいと思っていたため、このような機会に恵まれ、とても幸せな時間を過ごせました。

そしてローマでは、ローマ教皇様とお会いし、イタリア語で「日本から来ました」と伝えることが出来ました。さらに写真撮影だけでなく、握手までしていただき、今でもまだ自分があの場所にいたこと自体信じられていませんが、言葉に出来ないくらい本当に胸がいっぱいです。さらにはバチカン大使館にまで招待していただきました。中学生でこのような経験が出来たことに正直、驚きを隠せませんし、このように私たちが優遇していただいているのも四人の少年たちのおかげだなと改めて感じました。

今回、令和遣欧少年使節団員としてイタリアへ行き、天正遣欧使節の偉大なる功績を改めて認識することができたのと同時に、当時四人の少年たちが行った教会や関連のある教会に伺い、イタリアの視点からみた深い歴史や全く知らなかった歴史の背景なども知ることが出来ました。

また、イタリアではたくさんの経験をしました。ホストファミリーや多国籍で個性豊かな新たにできた友人たちとの関わりを通して、「自分の意見をもって発言する大切さ」を学び、自分の価値観に大きな影響を与えました。そして、知らない国で暮らすということは、日常が新しいことへの挑戦の連続でした。そうした環境に身を置くことで、新しいことへ挑戦する・失敗を恐れない気持ちも少し強くなれた気がします。このイタリアでの経験を通して得たものは想像以上に大きく、必ず自分の将来につなげていきたいと思いました。今回の経験は一生の思い出です。支えてくださった方々や参加を応援してくれた両親に心から感謝しています。

植松 尚子(うえまつ なおこ)さん

  • 植松1植松2
  •  私たちは、およそ400年前の天正遣欧使節の功績を認識するとともに、キリスト教の巡察師であるヴァリニャーノの生誕の地であるイタリアのキエーティ市との交流を深めるため、10日間イタリアへ行くことになりました。私は、初めての海外ということもあり、言語が通じないことや、生活スタイルの違いがとても不安でした。
  • 初めに、キエーティ市でホームステイを経験しました。私のホストファミリーは、警察官である両親と、17歳の高校生イレーネ、7歳の弟と犬の4人と1匹でとても優しく温かい家族でした。この家族は、日本が大好きで、日本のアニメをよく知っていました。私は、イレーネに折り紙で鶴の折り方を教えたり、ピアノで日本の曲を演奏したりしました。ホームステイはとても不安でしたが、私が安心して生活できるように手厚くサポートしてくださいました。中でも、食事がとても美味しかったことが心に残っています。本場のピザやパスタは今まで食べた中で一番美味しいものでした。

    ホームステイ1日目の夜には、キエーティ市の案内をしてもらうために散歩へ行きました。そこは、日本と大きく違った街並みでまるで夢のようでした。レンガ造りの建物、石畳の道、壁に描かれている落書き、街を明るく照らしている幻想的な街灯、全てが新鮮でした。

    そして、キエーティ市の中学校、ホストファミリーが通っている高校へ3日間通いました。とてもフレンドリーな人が多く、すぐに仲良くなりました。イタリアは多様性が認められ、それぞれ「自分」を思い通りに表現している人ばかりでした。私はいい意味で、「人目を気にせず、自己表現が思い切りできる」というイタリアの文化の素敵さに心を動かされました。

    私たちが住んでいる南島原と近い文化もありました。それは、「周囲の人に挨拶をする、近所の人とコミュニケーションをとる」という点です。また、とてもアットホームなクラスで、覚えていったイタリア語を話すと、拍手をして盛り上げてくれたり、発表や披露するときも失敗を恐れないような空気感で見守ってくれたりする、このクラスが大好きになりました。

    こうして4日間のホームステイはあっという間に終わりました。ホストファミリーとの最後の別れの時には、とても寂しく感じました。たった4日間だったのに、私のことを本当の家族のように扱ってくれたホストファミリーには、感謝の気持ちでいっぱいです。

    ホームステイを通して、感じたこと、考えたことがたくさんあります。日本とイタリア・・・という遠く離れた国で過ごしてきた私たちですが、言語が通じなくても、心で分かり合えるものがあるということが分かりました。場所は遠くても文化は似ているものもあったし、違いを見つけるということも1つの楽しみでした。現地の人と共に4日間を過ごして、イタリアの文化の良さを知り体感することができたと同時に、今まで気づくことができなかった日本の良さにも気づくことができました。

    キエーティ市にお別れをした後、ローマに移動しました。ローマでも数多くの貴重な体験をしました。私たちは「裃袴」を着て、サンピエトロ広場へローマ教皇の謁見へ行きました。そこでは、ローマ教皇と握手をしてもらい、写真を撮っていただきました。その時私は、事前に考えておいた、イタリア語で「光栄です」と言いました。伝わったかは分からないけれど、心温まる笑顔で対応してくださいました。一瞬のことでしたが、普通ではできない貴重な経験をすることができ、一生の宝物になりました。また、ニュースや新聞にもとりあげていただき、この出来事は今までの人生の中でもとても特別な経験であることを知り、さらに嬉しく思いました。他にも、バチカンの日本大使館へも入らせてもらい、自分たちがどれだけ貴重な体験をしているのかを実感しました。

    さらに、たくさんのイタリアの芸術に触れてきました。バチカン美術館では、数え切れないほどの彫刻や、ミケランジェロなどの有名な芸術家の作品を見ることができました。彫刻は筋肉や浮き出ている血管など大昔に作られたものとは思えないくらいリアルなものが多く、今にも動き出しそうな躍動感に感動しました。バチカンのサンピエトロ大聖堂のクーポラでは、息をのむほどの絶景が広がっていました。下にいる人たちが米粒よりも小さく見えるほど高い場所で、あまりの迫力に「すごい」の言葉しか出てきませんでした。これを500年も前の、機械が発達していない時代に作った人たちの努力は誰にも真似できないと思います。私はこれをきっかけに、芸術の素晴らしさ、当時の人の願いを考えるようになりました。

    私はこのイタリア派遣を通して、最初で最後となるような貴重な体験をたくさんさせていただき、自分を成長させるきっかけになりました。もともと、日本にしか興味がなく、チャレンジ精神がなかった私ですが、初めて外国に行ってみて世界の広さを知りました。自分の殻に閉じこもらず、もっと視野を広げることができたら、心に余裕ができ、生きる世界も広がります。世界にはいろんな人がいます。それを知ることができ、将来を考えるうえで自分の財産になりました。初めての海外で、親も友達も近くにいない不安な状況でした。しかし、日本人ひとりでもなんとか過ごすことができ、心配性な性格の私でしたが、いい意味で慎重すぎることも無くなり、「自分はいろんなことができる!」という自信にもつながりました。今回の派遣事業で学んで得たことを、これから将来に活かして、世界に目を向け、積極性を持って生きていきたいです。

    このような素晴らしい貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。

このページに関する
お問い合わせは
(ID:11711)
ページの先頭へ