南島原市へ移住されたご夫婦のご紹介
1.移住と就農
私たちは当初、農業をやるために移住することを決めたのではなく、「田舎暮らしをしたい!」という気持ちで移住を決めました。
私は東京でホテル業を経験していましたので、南島原市へ移住したらホテルや旅館での就職を考えていました。しかし、せっかく「田舎暮らし」を決断したにも関わらず、あえて会社勤めをするという選択に違和感を感じました。
妻は美容師をしていましたので、南島原市へ移住したら美容室を開業するか、訪問美容をしようかと考えていましたが、移住先の地域には理美容室が多数あり、各施設への訪問美容等の状況も調べたところ、開業するにはリスクが高いと判断しました。
その上で選択した仕事が「農業」でした。
2.移住の準備
農業をすることに決めて、作物は私達が好きな「アスパラガス」に決めました。
アスパラガス栽培を行うことを前提に移住地を探していたところ、候補地にはアスパラガスの生産が盛んな長野県や北海道があがりました。このような中から、長崎県の南島原市を選択した理由は温暖な気候であるのが気に入ったためです。
移住の検討では、東京にある「ながさき移住サポートセンター」を訪ねました。ここで長崎県の情報や移住に関する制度について説明を受けたり、移住フェスや就農フェスなどにも足を運ぶなどして、数カ月かけて移住と農業の決断をしました。
南島原市へ引越しする際には、長崎県のながさき移住倶楽部の引越料金の補助を活用しました。
住まいは空き家を自分たちで見つけて借用し、移住後一部改修をしたのですが、南島原市の「空き家バンク」を利用すると南島原市の「移住促進空き家活用事業補助金」という改修のための費用を援助する制度があったようです。今後移住を検討されている方は南島原市の空き家バンクも検討していいかと思います。
3.農業研修
移住後、就農する前に私たちは長崎県の新規就農相談センターの「技術習得支援研修」という農業研修を利用しました。
これは2カ月間の座学と10カ月間の実技研修で構成されている研修です。
2カ月間の座学は、諫早にある大学校まで片道車で約1時間30分の通いが大変でしたが、農業に関する勉強はとてもためになりました。10カ月の実地研修は楽しくやりがいをもって取り組むことができました。
実地研修では、自宅近くの先進農家さんが受け入れてくださり研修を行いました。私たちはアスパラガス栽培の1年間の流れを実際に経験することができ、大変勉強になりました。
研修先の農家さんには、実地研修だけでなく、研修終了後に独立就農するための農地探し等のご協力も頂き、大変感謝しています。
4.就農
就農にあたって、国の事業である農業次世代人材投資事業の準備型と経営開始型を利用しました。
新規就農となると、どうしても研修期間中や就農当初は貯金の切り崩しが必要になりますが、この制度を利用することで、一定の生活費が保障されるので、安心感をもちながら勉学に励めます。手続きや書類の準備には時間と手間がかかりましたが、とても助かっています。
また今年度から開始した、南島原市の「新規就農者就農支援事業補助金」も大変助かりました。この事業は令和2年度以降にIターンなどで他産業から新規就農する人が農業に関する経費を100万円を限度に補助を受けられる事業です。私たちは中古ハウスの改修費に活用しました。
5.南島原市に住んでみて困ったこと
南島原市に移住して気づいたことは、大型の商業施設がないことです。
都会では、ショッピングモールや娯楽施設を気軽に利用できましたが、こちらはそういった施設がほとんどありません。
例えば、映画館は県内なら長崎市に行かないとありません。
私たちは、たまにフェリーを利用して、熊本のショッピングモールまで足を運んでいます。
虫が苦手な人は注意が必要です。巨大なクモや、ムカデがよく出てきますし、白アリや蜂なども、都会にいた頃より気になるようになりました。
関東から移住を考えている方は、九州には台風がよく来ることを忘れないようにした方がいいと思います。
6.南島原市に住んでみて良かったこと
すこしネガティブなことをご紹介しましたが、都会から南島原市に移住して良かったこともあります。
その1つは物価や交通費が安いことがあります。南島原市に移住してからは、車が主な交通手段です。ガソリン代や維持費はかかりますが、関東にいた頃よりも抑えられていると感じます。
また、野菜や新鮮な魚は安くてとても美味しいです。関東にいた頃はほぼ刺身を食べることがありませんでしたが、移住してからはよく購入するようになました。
都会に住んでいたころは時間に追われるような生活をしていました。都会では出勤時間、電車の乗り継ぎ、本当に時間に追われていました。それが南島原市に移住してからは、時計を見ることが少なくなりました。何気なしに時計に目をやると20時になっていた。そういう感覚です。
あわただしく時間に追われる生活が当たり前だと思っていましたが、時間に追われることが知らず知らずのうちにストレスになっていたのかもしれません。
7.いまとこれから
2019年5月8日に南島原市に移住しました。
今はコロナの影響で、都会では感染のリスクも高くなっていますが、長崎県は他県に比べ、比較的に感染者は少なく、南島原市は密な環境も少ないので、移住したこと、職を農業にしたことは良いタイミングで決断できたと思います。
私たちは南島原市でアスパラガスの栽培を2020年10月下旬からスタートしました。
SNSを活用し、県外のアスパラ農家さんとも情報交換や交流を行っています。現状では、他県に行きお話を聞くことなどは困難なためSNSでの交流はとても助かっています。いずれコロナが落ち着いたら佐賀県や熊本県のアスパラガス農家さんのもとへ勉強しに行きたいです。
今後の展望としては、農業で食べていける土台を確立すること、将来的には地域のブランド「王様アスパラ」の基準を満たして出荷して、地域を盛り上げていきたいです。