セミナリヨ・コレジヨ
キリスト教が手厚く庇護された有馬晴信の治世下における天正八年(1580)、日本で初めてキリスト教の教育機関である、有馬のセミナリヨが設置された。当時、イエズス会のインド管区代表者であった巡察使ヴァリニャーノの発案によるものである。これ以来、慶長十六年(1611)に至るまでの20年余り、この地域では移転を繰り返しながら断続的にキリスト教の教育機関が設置され、当時の日本におけるキリスト教の指導者育成のための重要拠点となった。
セミナリヨとは修道士育成のための初等教育機関であり、およそ現在の中学校に相当する。市内においては、有馬、八良尾(はちらお)、有家に設置された。地理学、天文学、語学(ラテン語)、宗教、美術、音楽など当時最先端の西洋式教育が行われたとされる。
コレジヨはキリスト教の聖職者を育成するための高等教育機関であり、現在の大学にあたる。市内では加津佐と有家に設置された。