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令和7年度令和遣欧少年使節海外派遣事業中学生レポート

最終更新日:

令和遣欧少年使節海外派遣事業中学生レポート

 市では、有馬のセミナリヨ授業再現事業に参加した中学生の中から4人を選抜し、令和7年10月16日から25日までの10日間、令和遣欧少年使節団としてイタリアへ派遣しました。

 この事業は、1582年にキリシタン大名の名代としてローマを目指し、ヨーロッパへ渡った天正遣欧少年使節の偉大な功績を顕彰すると共に、歴史をとおして郷土に誇りを持つ人づくりや、グローバルな人材育成を目的に派遣しているものです。


謁見美術館フィレンツ

詳細は広報みなみしまばら(2026年1月号)に掲載されています。 

 派遣された中学生4名の感想文(原文)は以下のとおりです。 

コリンズ 陽喜(こりんず はるき)さん

  ローマ空港からバスで3時間。遠くに見える山々やオリーブ畑を望みながら揺られると、小さな都市、キエーティ市につく。ここはかつて現在の南島原でセミナリヨを建て、キリスト教の布教に尽力したアレッサンドロ・ヴァリニャーノの出身地だ。

 僕は南島原市の令和遣欧少年使節海外派遣事業で使節派遣団員に選ばれ、これから4日間、イタリア人ホストファミリーのもとでホームステイをすることになっていた。バスを降りてすぐ、満面の笑顔に迎えられた。ホストファミリーのお母さんのアントネッラとその息子で、僕と同い年のヴァレリアーノだ。二人はとても親切に接してくれて、出会ったときから友達のように話しかけてくれた。 家族構成は、母のアントネッラと夫のエマヌエーレ、そしてヴァレリアーノとその兄、クリスチアーノだ。

 家はキエーティ市内の駅から約15分で、カザリンコントラーダという地区にある。石畳やレンガ造りの家、美しい景色が楽しめるとてもいい街だ。

 家についてからすぐ、ヴァレリアーノにカザリンコントラーダの中心部を案内してもらった。ヴァレリアーノはとても英語が堪能で、説明もわかりやすかった。古い教会には、冬の間に雪をためて溶けた雪を飲み水にする施設があったり、養鶏場の跡があったりした。

 その次はキエーティ市内の“なんでも博物館”という印象の自然史博物館に行った。入口から入るとすぐ前に巨大なアロサウルス(恐竜)の全身骨格があった。恐竜好きの僕としてはそれだけで興奮してきたのだが、ハドロサウルス(恐竜)の上腕骨やアンモナイト、へりコプリオン(サメ)を見ると、もう感無量で、自分が古生物を好きだということを知って博物館に連れてきてくれたホストファミリーへの感謝の気持ちが溢れてきた。

博物館の展示の中で一番驚いたのは、日本の天皇からローマ法王への贈り物の脇差が展示してあったことだ。日本とイタリアのつながりを感じた瞬間だった。

 自然史博物館を後にし、別の博物館にも行った。そこは国立の考古学博物館で、石像や古代の人々が身に着けていた装飾品などが展示してあった。その中でも目玉展示は、なんといっても「カペストラノの戦士像」で、イタリアで見つかったとても有名な像だ。イタリアの農夫に発見され、像の価値がわからずそのまま放っておいたそうだ。どの土地でも歴史的な遺物が出土するイタリアの歴史・文化の深さに驚いた。

 その後はキエーティ市内にあるアレッサンドロ・ヴァリニャーノの胸像を見に行った。

その顔は、口之津港にあるそれとは違った印象があった。

銅像の説明パネルにヴァニャーノのたどったルートが記してあり、「KYOTO」と並んで「KUCHINOTSU」と刻み込んであった。遠いイタリアの地で自分が慣れ親しんだ名前を見て、とても不思議な気持ちになった。

翌日はイタリアの名物「アロストチーニ」という羊の焼き肉のような食べ物、自宅の前で行われたヨーロッパの名だたるクラシックカーの展示会を楽しみ、夢のような時間を過ごした。食事の際には、パスタを食べた後に器に残ったパスタソースをパンにつけて食べる「スカルペッタ」を教えてくれたり、伝統的なイタリアのコーヒー、モカの作り方を教えてくれたりした。僕ができると、みんな「HARUKI! You did a good job!」とイタリア人らしく褒めたたえてくれた。最終日のお別れの日には、僕と日本の家族のためにイタリアのお土産を箱いっぱいに詰めて、愛情がこもったメッセージと共に梱包してくれた。僕がお土産を買いたいと伝えると、一緒にお土産を買いに行ってくれて、大切にされていると心から感じ、とても嬉しかった。ホストファミリーの優しさをいろんなところで感じ、忘れられない思い出となった。アントネッラたちからは帰国した後もメールが届き、今でもお互いの家族の交流は続いている。

  ホストファミリーと別れた後、ローマに向かった。ローマに到着してすぐにバチカン市国に入った。ローマ市内には日本とは違う大きなスケールの石造りの建物が並んでいて、風景が日本とは全く違っていたことに圧倒された。その日は、サンタマリア教会、トレビの泉、スペイン広場に行き、最後に古代ローマの遺跡群とコロッセオに行った。特にコロッセオを見ながら、古代ローマ時代、ここで剣闘士たちが闘っていた歴史の舞台の場所にいるのだと実感した。

 ローマ教皇に謁見時は、握手や話し合うことはかなわなかったが、姿を見られたことだけでもイタリアに来たことに意義を感じた。

 その後、バチカン美術館では古代エジプトの棺やローマ時代の彫刻、そしてシスティーナ礼拝堂の中のミケランジェロの作品を鑑賞し、彼の素晴らしい感性と才能に触れた。また、サン・ピエトロ寺院では25年に1度しか開かない「聖門」を通ることができた。寺院内には歴代法王の墓があり、なかにはラファエロが彫刻を担当したものもあった。まさに、建物自体が美術館といっても過言ではない。

 フィレンツェではヴァリニャーノの子孫のヴァレリア・ヴァリニャーニさんと会い、フィレンツェの案内をしてもらった。フィレンツェはどこを見ても歴史的な建造物だらけで、写真を撮るのに忙しかった。ランチでラザニアを食べた後、かの有名なウフィツィ美術館に入った。美術館ではボッティチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」、レオナルド・ダヴィンチの「受胎告知」など、教科書でしか見たことのないような、そして息をのむような繊細な絵を見ることができ、心が幸せでいっぱいになった。

 この令和遣欧少年使節海外派遣事業を通して、日本とイタリアの繋がり、四少年が見たイタリアの歴史と文化溢れる姿、そして人々のあたたかさを感じた。

今後は、この派遣を通して学んだイタリアでのことを地域で発表したり、新聞にまとめたりして、地域に伝えていきたい。そしてこの経験を人生の中でかけがえのない思い出としていつまでも心にとめておきたい。 


山下 楓華(やました ふうか)さん

  私が今回、この事業に参加しようと思ったきっかけは、日本と外国それぞれの文化のよさを知って、それを伝えたいと思ったからです。そこで、このようなチャンスをいただき、挑戦してみようと思いました。

 旅の始めに私が驚いたことは、移動の大変さです。天正遣欧少年使節団が渡航した時代とは比べものになりませんが、それでも長時間の移動はきつく、少年たちの旅がいかに過酷だったかを痛感しました。

 イタリアに到着して、キエーティでの五日間のホームステイが始まりました。コミュニケーションをうまくとれるか心配していましたが、身振り手振りや英語、写真、翻訳アプリを使い、会話をするうちに打ち解けることができました。会話の中で、簡単なイタリア語を教えてもらって日本語にはない発音に苦戦しながらもイタリア語で挨拶などができるようになりました。私がホストファミリーの家で初めて食べたのは、ホストマザー手作りのトマトスパゲッティです。これがイタリアの家庭の味かと思いながら美味しくいただきました。ホストファミリーは私が行きたいと言ったスーパーにも連れて行ってくれました。これを頼んだのは、イタリアの日常生活を体験したいと思ったからです。店内に入ると多くの種類のパスタやオリーブオイル、チーズがあり、食生活の違いを感じることができました。イタリアでの日常を知っていく中で、日本や南島原との共通点も見えてきました。例えば、ホストファミリーの女の子に案内してもらった町の公園にはたくさんの木々が植えられていて、イタリアの人々は紅葉を楽しんでいました。ほかにも近くに大きな山や海もあってそこにも一緒に行きました。南島原も有明海と普賢岳など海と山に囲まれた自然豊かな町です。キエーティの様々な場所を見ていく中で、南島原の景色と重なるところがあり、とても親しみを感じられました。

 また、私はボーイスカウトという野外活動を通じて同年代の子どもたちとも交流を深めました。ミサの見学やドッジボール、クイズを通して、言葉は通じなかったけど、その壁を越えて仲良くなれたと思います。ボーイスカウトのメンバーはみんな優しくて、中には車椅子の女の子もいましたが、助け合って活動している姿がとても印象的でした。この、人の温かさも日本との共通点の一つだと思います。  私がホストファミリーと過ごした中で一番驚いたのは、みなさん日本についてとてもよく知っていることです。ホストファミリーは日本のアニメが大好きで、夕食時にジブリ映画を一緒に見たり、コミックショップに行ったりして、そのことについての会話が弾みました。私がかんころもちと玄米茶を振る舞い、折り鶴の折り方を教えると「ビューティフル!」と日本の文化を楽しんでくれていました。キエーティの学校でも、クラスメイトは「アイライクスシ」など日本の好きなものなどを話題に、フレンドリーに話しかけてくれてとても嬉しかったです。最後の日には美味しいチーズや手作りのオリーブオイルなどたくさんお土産を持たせてくれ、たった5日間のホームステイでしたが、離れるのが名残惜しいくらい充実した時間を過ごせました。

 次にローマへ向かいました。道中、キエーティの自然豊かで穏やかな雰囲気からローマの歴史的で風格のある街並みへと変化していく様子が、同じ国でも地域によって様々な顔があって面白いなと感じました。ローマでは、コロッセオやトレビの泉、スペイン広場など有名な建築物を生で見ることができました。日本と違い、石造りの建物が多いため、たくさんの昔の建物がそのまま残っているのだとわかり、天正遣欧少年使節団も見たかもしれない景色を実際に見ることができたことに改めて感動しました。ローマ教皇との謁見では、厳重な検査を通り多くの人が大聖堂の前に集う中、遠くからですが教皇の姿を見ることができました。教皇は人々ににこやかに手を振られ、周りの人たちもそれに歓声を上げて応えているのが印象的でした。教皇の目には入らなかったかも知れませんが、天正遣欧少年使節団と同じような裃姿で、このような貴重な体験ができてとても良かったです。

 最後に向かったのはフィレンツェです。ここでは、ヴァリニャーノ神父の子孫のヴァリニャーニさんに案内をしてもらいました。町は、ジュエリーなどの並んだお店の豪華さと昔ながらののどかさを併せ持っており、フィレンツェもまた違った良さがあるなと感じました。ウフィツィ美術館には、教科書で見たことのある有名な作品もあり、どれも一つ一つに想いが込められていることに感銘を受けました。

 始めは少し不安だった旅も終わればあっという間で、今は「また行きたい!」と思うくらい、とても楽しく濃い10日間でした。私にこのようなチャンスをくださった方々や現地で私を温かく迎えてくださった方々には感謝でいっぱいです。今回経験したことやイタリアとの繋がりを大切にし、ふるさとで活かせるようこれから頑張っていこうと思います。

大仁田 理彌(おおにた りみ)さん


  •  イタリアのキエーティ市に着いたと思ったらすぐにホームステイ先に向かった。駅にはホストファミリーのお母さん、女の子とその友人、そしてその子が通う学校の先生が迎えに来てくれた。地元に似た、緑が多く、自然の溢れる場所だった。ホストファミリーや学校の先生、そして生徒たちも、たくさん声をかけてくれた。逆にイタリアの音楽や映画、食文化などについても教えてくれた。明るくて、陽気で、相手の気持ちをしっかり考えてくれる人たちばかりだった。私はその姿に刺激をもらい、そして憧れを持った。いつまでもこの思いを忘れずに、この人たちに近づきたいと思う。

    ローマ、バチカンに行くと、建物から芸術を感じた。美術館やコロッセウム、スペイン広場やトレビの泉にも行ったが、様々な所に彫刻がなされており、その壮大で魅力溢れる街並みは「美術の国」そのもので、決して日本にはないものだった。また、ローマ教皇謁見の日には袴を着ての出席で、たくさんの注目を浴びた。四百年前にイタリアに派遣された四人の少年たちは、長期に渡る危険な旅を経てイタリアに降り立った。彼らは、きっと私たち以上にこの街並みに圧倒され、注目を集め、たくさんのおもてなしを受けたのだと思う。こんなにも素晴らしい歴史を持ち、その歴史が今でも受け継がれているこの町に生まれたことは、私にとって大きな誇りであり、自慢だ。

     海外に行って、初めて気づいた事がある。トイレに無料で入れることや湯ぶねに浸かれること、学校で給食が提供されることなど、日本では当たり前だったことが、イタリアに行って初めて当り前じゃなくなった。いつもは気づけなかった日本の有難さに気付くことができた。逆に、前文でいったように、日本にはない魅力もたくさん見て、感じることができた。

     私がこの事業に参加したいと思った一番の理由は、海外から来た人にとって、住みやすく、また行きたいと思える場所にしたいと思ったからだ。私の身近に、海外に住んでいる子がいる。その子は二年に一度くらい、日本に住むおばあちゃんに会うため日本にやってくる。その時、短期間ではあったが日本の学校に通ったことがあった。でも、あまり馴染めずに「行きたくない」といったことがあるのだと、私の母を通して聞いた。今回の派遣で、私は自分がその子の立場になってイタリアの学校に行った。実際に全く知らないことだらけのところに行ったとき、やっぱり不安があって、そこに行くことを恐れている自分がいた。でも、話しかけてもらったり、質問してもらったり、温かく迎えてくれる人や、きれいな街並みがあったら、きっとまたここに来たいと思った。だから私は、そんな思いをする子がいなくなるように次の五つのことを目標に掲げ、実践していきたい。

    一つ、今の私がまず憧れを持ったあの人たちのように変わること。

    二つ、ゴミ拾いや草取りをしてこのきれいな街を継続していくこと。

    三つ、自分の故郷をもっと知ること。

    四つ、ほかの国にも視野を広げ、文化や歴史に関心を持つこと。

    五つ、人との違いを受け止めること。                                                    これからを支えていくものとして、令和遣欧少年使節団に選ばれたものとして、今回学んだことを活かし、南島原のグローバル化に向けて取り組んでいきたい。また、これを読んでいる人にも、改めて自分の町の歴史を学んで、自分のふるさとに誇りを持ってもらいたい。最後に、このようなチャンスがあったら、ぜひ勇気をもって挑戦してほしいと思う。

    池田 睦大(いけだ のぶお)さん


    僕が今回のイタリア派遣を通じて感じたことは大きく分けて二つあります。

     一つ目は、イタリアの人たちは活力があり活発だということです。そう感じた理由としてはホームステイさせてもらったホストファミリーや現地の学校の生徒との交流を通してそう感じたからです。

    例えば私が行った学校の生徒たちとの休み時間の会話です。わたしは、日本でいう高等学校に行ってきました。そこでは生徒たちはのびのびとしていました。日本に興味がある人が大勢いて、日本の餅つきやアニメについて聞かれました。みんなは日本の人より積極的に話しかけてくれました。また、ホストファミリーと出かけたときにも日本の人よりもリアクションが大きくて会話が楽しいと感じました。

    いつも明るく元気なイタリアの人たちの性格は日本人とはまた違った良さがあると考えています。

     二つ目に感じたことは、日本より圧倒的に歴史的な建物が多いということです。ローマやフィレンツェの町を探索していると、至るところに大きくて立派な建物がありました。そのたびに「あれは何ですか?」と質問すると皆さんは丁寧に教えてくださいました。十六世紀の建物だったり貴族の屋敷だったりと歴史的な建築物でした。とてもおどろきました。こんなに歴史的な建造物が多いのは、日本の京都の「一定の高さ以上の建物は立てるのは禁止」というように、「ローマには新しい建物を建てるのは禁止」という法律があるからということでした。だから歴史のある建物しかローマには有りません。その中で、その建物のなかに若者向けのおしゃれな店が入っていました。ここでしか見られない光景だなと感じました。

     今回の旅を終えて私はいろいろな人にこの体験を伝えたいと思っています。ローマ教皇謁見の広場に、島原半島の人口約16万人の倍以上の30万人以上の人が集まっていたことや、キエーティの学校での出来事など、一言では伝えられない素晴らしいこの体験は、わたしの中だけで終わらせるのはもったいないと思うからです。

     今回の体験は、将来、必ず役に立つと思っています。私は将来、多くの人と交流できる職業に就きたいと思っています。今回、イタリアの文化、イタリアの人々の温かさを知ることによって、より一層、その気持ちが強くなりました。いつか、今回の体験のように多くの人と触れ合えるようなことを、今度は私が次の世代に体験してもらえるような仕事に就きたいです。そこで今回イタリアで感じた多くの思いを生かして伝えることができればいいと思っています。

     今回このイタリア派遣事業に関係して、私たちを支えてくださった皆様、イタリアに行かせてくれたお母さん、本当にありがとうございました。今回の派遣事業を通して私は、多くのことを体験し、多くのことを感じることができました。これは皆様のお蔭で成り立ったものです。今回の体験を将来に生かしてこの故郷になにか恩返しができればと考えています。

     また今回の派遣事業だけではなくセミナリヨの再現授業でつながった「縁」を大切にしていきたいです。いっしょに行った仲間たち、向こうで知り合った友達、そのほかにもいろいろな人と知り合うことができました。その一つ一つを大切にしながら、これからも歩んでいきたいです。

     本当に今回は、このような一生に一度の体験をさせていただきありがとうございました。

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