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セミナリヨ・コレジヨ/天正遣欧少年使節

教育委員会 文化財課 TEL:0957-73-6705 FAX:0957-85-2767 メールbunkazai@city.minamishimabara.lg.jp

セミナリヨ・コレジヨ

 キリスト教が手厚く庇護された有馬晴信の治世下における天正八年(1580)、日本で初めてキリスト教の教育機関である、有馬のセミナリヨが設置された。当時、イエズス会のインド管区代表者であった巡察使ヴァリニャーノの発案によるものである。これ以来、慶長十六年(1611)に至るまでの20年余り、この地域では移転を繰り返しながら断続的にキリスト教の教育機関が設置され、当時の日本におけるキリスト教の指導者育成のための重要拠点となった。

 セミナリヨとは修道士育成のための初等教育機関であり、およそ現在の中学校に相当する。市内においては、有馬、八良尾(はちらお)、有家に設置された。地理学、天文学、語学(ラテン語)、宗教、美術、音楽など当時最先端の西洋式教育が行われたとされる。

 コレジヨはキリスト教の聖職者を育成するための高等教育機関であり、現在の大学にあたる。市内では加津佐と有家に設置された。

有馬のセミナリヨ

 安土のセミナリヨと時期をを同じくする天正八年(1580)、日本で初めて設置された。位置は最初の設置を含め、規模を大きくしながら3回変わったとされる。有馬氏の居城である日野江城に近く、通算の設置期間も長い。第一期生である少年ら4人が、天正十年(1582)より遣欧少年使節団としてヨーロッパ諸国へ派遣されている。

八良尾のセミナリヨ

 天正16年(1588)から翌年(1589)、ならびに天正十九年(1591)から文禄四年(1595)の2回に渡って設置されている。八良尾は日野江城より北方の山あいにあり、秀吉の禁教令による迫害を避け、有馬のセミナリヨより避難するために設置された側面もある。水準の高い教育が行われたことを知る資料も多い。

有家のセミナリヨ

銅版画「セビリアの聖母」(復刻版)

渡辺千尋氏・作

 八良尾のセミナリヨより文禄四年(1595)に移転し、翌年まで設置される。この頃の生徒数は200名程にも達していた。従来の教育内容に加え、美術工芸活動も行われ、油絵・銅版画・水彩画などが教えられていた。マニラで発見された有家セミナリヨ由来の銅版画2点が、浦上天主堂に保管されている。また、銅版画家の故・渡辺千尋氏によって復刻された「セビリアの聖母は、平成10年、時のローマ法王に献上されている。

加津佐のコレジヨ

 

        左:活版印刷機(複製)  加津佐図書館展示

        右:『サントスの御作業の打抜き書』巻第1

 もともとはキリスト教が大友氏の庇護下にあった豊後府内(大分県大分市)に設置されていたものであり、有馬のセミナリヨと時を同じくする天正八年(1580)に開かれている。しかし天正十四年(1586)に島津家による焼き討ちにあい、移転を余儀なくされる。加津佐には天正18年(1590)に移るが、翌年には天草へ移る。コレジヨはその後も長崎などへの移転を繰り返す。

 天正遣欧少年使節が活版印刷機をコレジヨへ持ち帰ったのは、この加津佐コレジヨの時代であり、加津佐の地において日本初の活版印刷が行われた。加津佐コレジヨにおいては『サントスの御作業の打抜き書』巻第一、『どちりいなきりしたん』などが印刷されているが、折しも禁教令が敷かれており、こうした書物が布教の重要な手段となった。

 

天正遣欧少年使節

天正遣欧少年使節

(京都大学附属図書館蔵)

 セミナリヨの設置に携わった巡察使ヴァリニャーノは、ここでの教育と布教活動の成果を広く知らせるため、有馬セミナリヨに学んだ少年ら4人のヨーロッパ派遣を企画する。正使には大友宗麟の親戚である伊藤マンショ、千々石氏の親族で大村氏とも血縁のある千々石ミゲルが選ばれ、副使には波佐見出身の原マルチノと小佐々氏に縁のある中浦ジュリアンが選ばれた。この旅において彼らは、キリシタン大名有馬晴信・大友宗麟・大村純忠の名代として、スペイン国王フェリーペ2世、さらにローマ教皇グレゴリオ13世への謁見を果たしている。また高い教養と礼節をそなえた彼らは、遙か遠く離れた極東アジアにおける布教活動の成果として、訪れたヨーロッパの各地で熱烈な歓迎を受けた。

 大きな成功を収めた使節団の派遣ではあったが、8年半の長旅を終えた彼らを待っていた運命は決して順風なものではなかった。帰国(天正18年・1590)の3年前にあたる天正15年(1587)、秀吉の伴天連追放令により宣教師の国外退去が命ぜられ、キリスト教徒を取り巻く情勢は大きく変化していた。帰国を果たしたとき、彼らを名代として遣わせた大名のうち、大友宗麟と大村純忠は既に逝去していた。慶長元年(1597)には、長崎の西坂において26人の宣教師が殉教するなど情勢は厳しさを増していった。

 使節団のうち、伊東マンショ、中浦ジュリアン、原マルチノの3名は文禄二年(1593)にイエズス会へ入会後、マカオへの留学などを経て、慶長十三年(1608)に司祭に叙せられている(千々石ミゲルは3名とともに入会後、慶長6年・1601に退会)。

 伊東マンショは小倉を中心に活動するが追放により中津、長崎と移り、慶長十七年(1612)に亡くなる。

 原マルチノは慶長十六年(1611)、マカオへ追放となり、15年後にここで病死する。

 中浦ジュリアンは潜伏を続けながら布教活動を行っていたが、寛永九年(1632)小倉において捕えられ、翌年長崎で穴吊りの刑に処せられ殉教する。これより374年が経過した平成19年(2007)、ローマ教皇ベネディクト16世により福者に列せられた。

添付資料 天正遣欧少年使節 関係略年譜 新しいウィンドウで表示(PDF:20.3キロバイト)

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