長崎県の南部、島原半島の南東部に位置し、北部は島原市、西部は雲仙市と接しており、有明海をはさんで熊本県天草地域に面しています。千メートルを超える雲仙山麓から南へ広がる肥沃で豊かな地下水を含む大地を有し、魚介類豊富な有明海及び橘湾に広く面する海岸線を有しています。
歴史的には1560年代にキリスト教がこの地に伝来し、キリシタン文化が繁栄した時代もあった一方、豊臣秀吉の伴天連追放令などによりキリシタン弾圧を受けた時代もあるなど、市内には日本におけるキリスト教の光と影を示す歴史遺産が数多く存在します。その中でも「島原・天草一揆」の終焉の地として有名な『原城跡』は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されました。その他にも、南島原市を含めた島原半島地域は、世界塩パークに日本第1号で認定され、大地の鼓動、地球の歴史を感じることができる地域でもあります。
福岡から車で180分、長崎市から車で90分、諫早市から車で70分。
県内でもプチ旅行となる驚異的なアクセスの悪さと、海と山を目と鼻の先に構える姿から、地元住民は誇りを持って陸の孤島と自称している。
昔々、鎖国時代に外国と交流していた口之津港を擁する。他国から様々なハイカラなものが持ち込まれて、大層おしゃれな方々が町を闊歩していたに違いない。その様子は諸外国から東洋のミラノコレクションと言われていたように思われる。
島原の乱により本当に人っ子一人いなくなったようで、その後の移民たちが頑張って作り上げた移民の町であることから、住民みな移民であり心もちは移住者ウェルカム。
時を経て現在、そんな町だった南島原も今や昔。ほかの市町村に負けじと、着実に少子高齢化と人口減少が進んでいる。
日本の胃袋といわれる島原半島のごはんを食べられ、自然をこれでもかと感じられる素敵な場所なのに、なぜだろうか。歯がゆいことこの上ない。
そんな現状を打破し、この場所の魅力を知らしめて多くの方に市に来てもらい、人口減少に歯止めを図るべく、この記事が誕生した。